京阪旧3000系(現8000系30番台)が来春で引退してしまうそうですね。

旧3000系。
塗色変更しないなと思ってたけれどそうきましたか京阪さん。
まだまだ走れると思うのですがねえ。新3000系に追いやられた感じですか。新3000より旧3000の方が絶対に素晴らしい車両なのに、まあ世代交代は避けられない運命なのですね。
軽快な足どり、前方のパノラミックウィンドウ、ずらっと並んだ窓、8000とは少し趣の違ったダブルデッカー、一人分ずつ引き出せる補助椅子、そして往年のテレビカー…しかし、クイーンと呼ばれた3000の魅力は言葉で表せる範囲を超越します。なんだか独特の落ち着き、調和、優美さを感じるのです。
僕にとって王子様だった1900。女神だった3000。仕方のないこととはいえこれらを引退に追い込んだ新3000が最早憎くすらあります。
1900が一番好きだったんですよ。

お別れ運転の1900.
あの飾り銀バンパーに痺れましたね。片開きと両開きが混在する扉とか、裾の絞っていない断面とか、元先頭車のしゅっとした屋根のカーブなんかはもう、僕の萌えポイント抑えまくりの剛速球どストライクですよ。
それからねえ、大きな菱形を描くパンタグラフとか天井の送風口とか車両によって窓の数が違うとか5両で本線運用に最期まで使われてたりとかあのブレーキ臭とか…とにかく二枚目でねえ。僕の心を捉えて離さなくてねえ。思い出すだけで切なくなってきます。

1900の天井。お別れ運転。車内は超満員。真冬なのに熱気ムンムンでした。
小学校の遠足で海遊館に行った時に1900が来たのは本当に嬉しかったなあ。確かあの頃は余りの嬉しさに感想文に海遊館の事そっちのけで1900と大阪市営地下鉄の事ばかり書いたっけ。(今から思えば何てケッタイな小学生や)
お別れ運転で泣きながら三条で写真撮ったなあ。いやあ懐かしい。高校受験の迫る12月だったと思うけれど、親の反対を振り切って行ってよかった。更に言うと、淀屋橋から三条までお別れ運転に乗って本当によかった。風邪移されたら受験アウトになりかねないからマスクして鉄道ファンで超超超満員の電車に乗り込んだのは今やいい思い出。

お別れ運転の行先表示。淀屋橋にて。
というように、長くなりましたが、僕の目には1900が王子様に見えたんです。で、その次に好きだった3000は門真市の駅を通過する時の余りの華麗さに女神、或いはよく言われるようにクイーンに見えました。
なかなか子供の頃は特急に乗ることなんて無かったので、強烈な憧れがありました。一体ダブルデッカーの上段はどのくらい高いのだろうとか、テレビカーはどんなふうになっているのかとか、先頭から眺める複々線の連続通過はどんなに爽快だろうとかを考えまくった幼稚園~小学校低学年時代を思い出すと、3000は僕の鉄道愛の深層を形成したのだと言っても過言ではありません。

京阪100周年記念のヘッドマーク掲出。
いやぁもう美人さんでねえ。美人薄命なのでしょうか、8000が割と早くデビューして1編成以外引退か他所に移籍してしまってなんだか可哀相な形式ですよね3000は。1900も特急やってたのは短かったけど通勤改造されて細く長くのお付き合いって感じでしたが3000は短命だと思いますね。
京阪3000と近鉄サニーカーとビスタEXは顔から横に流れる曲線美が実に素晴らしいと思うのです。どことなく顔が似てないですか、3000と近鉄サニーとかビスタ。前面のガラスが切れ長の目みたいで官能的。そういう所がやはりクイーンなんですよ。このデザインは関西私鉄の到達点だと思っています。

近鉄サニーカー。窓ガラスが横に流れる感じが3000と似てませんか?
その流れで僕には3000とかサニーカーに顔が似ている人が美人に見えるのです。
目が柔らかく優美なラインを描いて、そんなに顔が細長くないような感じでしょうか。実は先日のバッファちゃんも若干それを意識していたりします。3000は僕の美的センスにまで影響を及ぼしている偉大かつ親愛なる車両なのです。
それだけに今回の引退発表は衝撃的でした。別れはいつかは訪れるものですが余りに寂しい。来春には受験も終了してるでしょうからお別れ運転には行けるでしょうが、それまではあまり乗ることが無さそうなのが辛いですね。できるだけたくさん乗りたいのですが。
で、結論としては
うわあぁぁ引退しないでくれえ(泣)